暮らし

僕が歓喜を体験した車山高原を
家族にも体験してもらいたくて
長野に向かった
ちょうど誕生日を迎える妻に
内緒のバースデーケーキを用意して

仕事をやめて9か月目に入り
人生のトランジションに合わせて
どんな“暮らし”をしようか?
そんな話をしながら高速を運転する

超大型台風の影響で
前が見えないくらいの豪雨も
山梨を抜けるころには止んで
雲間から青空がのぞくようになった

1カ月ほど前に訪れた時に青々としていた高原は
ススキが揺れる風景に変わっていたけれど
雲を上から眺めたり湿原を散歩したり
家族の初めてを分かち合うのはとても楽しかった

宿に向かう前に湖上アクティビティにも参加
末娘と僕が2人乗り妻と長男長女は1人乗りでカヌー初体験
僕を除いてカナヅチ一家とは思えないほど
みんなはしゃいで大いに楽しんだ

カヌーの次はステップサップにも挑戦
大きなサーフボードのようなものに立ってペダルを踏んで進む
体重の重い僕はバランスが取りにくく苦労したけど
僕以外の家族は軽快に楽しんでいた

途中、長女のサップが上手く漕げなくなって
僕がサポートをしながら岸にあがり振り向いた時
妻と末娘の姿が見えないことに気付いた

当たりを見回してもいない
「転覆したのかも!!」
僕の隣にいたスタッフが気が付いて大声で呼びかける
「ボード戻せますかー-?」
そういいながらスタッフの人はサップを用意して漕ぎだした
遠すぎて僕の目には妻も同乗していた末娘も見えない
近くにいた長男が
「大丈夫―?」とのんびりした声を掛けながら近づいていく

僕はどうして良いのか分からず
岸で様子を見ているだけだった
なぜか「大丈夫だろう」と思いながら
今思えばそう思い込みたかっただけなのかもしれない

しばらくすると末娘の鳴き声が遠くから聞こえ
なんとなく妻の姿も見えた気がした
やがてスタッフにサポートしてもらいながら
妻と末娘が岸に帰ってきた
妻は安堵からなのか笑顔で末娘は大声で泣きながら

末娘を抱きながら恐かった思いを聞いて涙が出た
妻の冷え切った身体をさすりながら
妻も末娘も生きていて良かったと心から思った

ライフジャケットを着けていても
沈んだ身体が浮かぶまでには時間がかかる
妻の顔がようやく湖面に出たとき
末娘の姿が見えなくて焦り
必死でボードの下を探ったら
末娘のライフジャケットを掴み引き揚げた
青白くなった顔をした末娘が鳴き声を上げたのを聞いて
これで後はなんとか大丈夫と妻は思ったらしい

冷え切った妻と末娘が
旅館の温泉に浸かり元気な笑顔を取り戻してから
ようやく一息をついた
畳で寝転がりながらみんなでUNOをして
ワイワイ夕食をしてもう一度温泉に浸かり
風呂上りで部屋に戻ったタイミングで
サプライズバースデーパーティー
ようやく楽しい家族旅行が戻ってきた

疲れで早めに寝静まった寝室で
窓の外に見える湖を眺めながら
あの時ボードの下に潜り込んでしまった末娘を
妻が見つけるのが遅れて引き揚げるのが遅れていたら
どうなっていたのか分からなかったと考えていた

あの時なぜ僕は大丈夫だと思っていたのか?
助かったから良かったものの
もしものことがあったなら
何もせず立ちすくんでいたこと
そもそも水上アクティビティを選んだこと
罪悪感に苛まれていてもおかしくなかった
でも大丈夫と思っていたのは何故なんだろう

湖面の遠くに見える転覆したボード
遠すぎて何をして良いのか分からない力の無さ
助けてもらった生かしてもらった
大きな自然の力に
そう思えた

翌日
奥深い山の中に美しい伝説の残るという湖を見に行った
苔むした樹々の間を抜ける美しい山道を登り
湖畔に立ちながら
「妻と末娘を生かしてくれてありがとうございます」
と祈った

帰り路
運転しながら助手席の妻と“暮らし”の話をした
「自然に祈りを捧げられる、自然への畏敬の念を感じる“暮らし”が
人生のトランジション後にしたい“暮らし”なんだと感じたよ」
妻も同意してくれた

自然の力は生かしも殺しもする
僕らが生きているのは自然の力に生かされている
でも僕のいまの暮らしはそれを感じにくい
周りに自然がないこともそうだけど
自然が周りにあるかどうかだけでもない
僕らはビジネスや人間社会を中心に見過ぎていて
他の物を見落としやすい
根底に何に生かされているのかを感じにくい

中心には自然の力のような目に見えないものを置いて
畏敬の念をもって“暮らし”ていく
それは自然のない都心の暮らしではないけれど
山の中の暮らしでもない
中心におくものを意識しやすい暮らし
トランジション後の暮らしはきっとそうなんじゃないかと思った

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)