怖れと繋がり血統を開く旅(その4)

(その3)から続く

朝食を済ませ
旅の仲間と再び鍾乳洞を訪れる

皆がここはヤバい怖いと口にする中で
1人が「みんなでスマホで中を照らせば見えるんじゃない?」と提案
神聖な場所でそれはいかがなものか?
と思うこころがありつつ
なぜかやってみようという気になったので従った

3,4人でスマホのライトで照らすと足元が見え
奥へ奥へと進んでいく
すこし行くと突き当りの丸みのある場所が見えたが
そこで「やっぱり怖い!」といって戻った人につられ
余り長居せずに退散した

あの怖さは何だったのだろう?

平和記念公園のあとに行った
斎場御嶽(せーふぁーうたき)は聖地とされていた
そこは岩とガジュマルの密林の中を進んだ先にあって
大きな大きな岩と岩の間になぜか綺麗に空いた空間が
まるで自然が意図をもって創り出したように感じる場所だった



自然が創り出す意図があるかのように感じるもの
そこに畏敬や畏怖の念を身体は自然と感じている
その怖れを克服しようとして人は科学を生み出して
暗闇を科学の光で照らした
目で見ることで頭で理解しようとした
でもそれは怖れを克服したのではなく
理性で感性を凍り付かせ
そこにある怖れを無かったことにしただけだったんだろう

怖れは克服するものではなく
触れることで繋がるものがある
そんなことを感じさせる旅だった

東京に帰った日の晩
あるセミナーに参加し
家系(血統)に流れるものと一致することも
自己一致であると教わった

「怖れに繋がり隠れた神の力を開く」

これが僕の家系に流れるものである気がする
血統を開きこの流れと一致する
帰ってきて目的をしる旅だった

終わり

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 4編、一気に読ませていただきました。

    あーきぃに誘われた旅は、なんて豊かで大きな気づきを得る旅だったのでしょうか。
    お母様の本当のお姿と繋がることが出来たことも、愛が祈りに繋がっていく姿も
    すべて必然だったのですね。

    暗闇を科学の光で照らした
    目で見ることで頭で理解しようとした
    でもそれは怖れを克服したのではなく
    理性で感性を凍り付かせ
    そこにある怖れを無かったことにしただけだったんだろう

    なんて深く豊かな感性なのでしょうか。
    感性で生きることを覚悟し、その道を歩きだしたからこそ得ることが出来た気づきなのだろうと感じています。
    それを、こうして話していただけたことを、とても嬉しく、そして有難く感じています。

    ASVやAS、銀座の自主トレなどでお会いしているのに、ゆっくりお話を伺うことが出来ていなくて。
    ゆっくりお話を伺いたいです。

    本当の仕事ワークショップも、いつか参加したいと思っています。
    お会い出来ることを楽しみにしています。

    • コメントありがとうございます。
      ブログにした想いを受け取っていただいて
      とても有難いです。
      またお会いした際には
      ゆっくりとお話できますこと楽しみにしています。

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