怖れと繋がり血統を開く旅(その1)

TUNERあーきぃからお誘いを受け
何をしにいくのかも分からないまま沖縄へ

沖縄戦終焉の地である摩文仁の丘(まぶにのおか)のある
平和記念公園の平和の礎(いしじ)に立った時
言葉にならない何かの感覚が湧いてきた

平和の礎は沖縄戦で亡くなった20万人余りの
戦没者の名が刻まれた黒い刻銘碑
何列も何列も並ぶ戦没者の名前が
波のように押し寄せる

言葉にならないその感覚を
「亡くなった方が繋いでくれたこの命を大切にしなければ」
と模範解答のように頭が翻訳しそうになるのを振り切って
感覚の中に身を置いてみると
「悔しい」という思いに触れた

墓地では感じたことのないような感覚
ここに名を刻まれているのは
殺されたか命を擲った人たちなんだ
それなのに、、、



沖縄は日本で唯一の地上戦の痛みを知る土地
民間人、女子供、戦場に巻き込まれた
命を賭し最後まで戦ったその代償は
米軍による占領であった

僕は沖縄に親族がいながらも
沖縄の人たちに対して
幼い頃から違和感を感じるところがあった
本土という言葉
戦争のことを訊いてはいけない感じ
触れてはいけない拒絶されてる感じ
分かるようで分からない何か

親族である僕でさえ分からないそれは
本土の人にも同じであっただろう
それはやがて他人事のような
分からなさゆえの無関心にもなっただろう
それは命を賭した沖縄の人にとって
見捨てられた、生贄にされた
そんな悔しさがあるような
何だかそんな感じを覚えた

(その2)へ続く

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