リフレクションとプロジェクション

妻の話では最近息子がやたらと「これでいい?」と訊いてくるらしい
たしかに「〇〇しちゃったんだけど、いいかな?」と妻に訊いている
僕にはあんまり訊いてこないけど。。。

僕は数日考えて息子にこう話した
「もうすぐ10歳になるじゃん。パパが10歳の頃ね、パパは自分の親は間違っていることを言っている!と思ったんだ。」
「!?」
「パパとママの言うことは絶対に正解ってことはないんだよ。それが正しいと思っていることを話すから嘘をついてるわけじゃないんだけど、間違っていることもあるんだよね」
「・・・」
「10歳頃になるとさ、何があってるとか、間違ってるとか分かるようになるんだよね。それだけ成長したってことだね。」
「・・・」
「でね、これでいいのかな?思ったらさ。僕はどう感じてるんだろう?って思ってみるといいよ。小さい頃さ、ハートに手を当てて自分はどう感じてるんだろ?ってやったみたいに。それがパパやママの言うことと違っても、それが自分にとっての本当なんだよ」
「・・・」

伝わってるんだかどうだか、分からないけど
それで息子は別の部屋にゲームをしに行ってしまった

次の日の朝

会社に到着すると、隣の自動車整備工場のH社長が寄ってきて
「右後ろのタイヤ、空気抜けてますね」と話しかけてきた
以前にも同じことを教えてくれて点検したけどパンクは見つからず
空気をいれてもらったんだけど、やっぱり小さな傷でもあるのかな?

そのまま玄関先でH社長と話をしていると
社員のSさんが僕らを見つけて近づいてきた

「じゃあ、ついでにワイパーも交換してもらおうかな。部品が入ったら声かけてもらっても良いですか?」と僕が言うと
「部品ですね?コンプレッサーは交換するしかないみたいです」とSさんが答えた
「え?、、、あの、、SさんではなくH社長に話してたんだけど。。。」

気になったので、H社長との話が終わったあとSさんに訊いてみた。
「さっきさ、なんか変な感じになったんだけど。Sさんには何が起きてたの?」
「お二人が話してるのを見かけたので、ちょうどいいから現場車のエアコンが効かないのはコンプレッサーの交換になるって話を説明して発注しようと思って。話に割り込むつもりはなかったんですが、すみません」
「んー、注意をしたいんじゃなくてさ。僕とH社長が話をしてたじゃん、そこにSさんが来たのは僕も分かってたのね。でも僕はまだ話が終わってなかったから、話の続きをH社長に話したら、Sさんが返答したからビックリしたんだよね」
「え?そうですか。私はちょうど話が終わったから、よいタイミングかな?って思ったんですけど」
「そうなんだ?僕とH社長の話をみて、話が途切れたと思ったんだね。でもさ、僕がワイパーの部品の話をしたのが、どうしてコンプレッサーの話と繋がったの?」
「え?そんな話しましたか?」
「うん。だからビックリしたんだよ」
「覚えてないなー、、、」

そこから思い込みについての話になって
対人関係への怖れの話になって
普段の仕事でのお客さんとのディスコミュニケーションの話になって

まぁそれは置いておいて
前の日の息子との話と
Sさんとの話
なんか僕にとっては同じ話な気がして
しばらく考えていた。
そしたら先日、あるワークショップで学んだ言葉が
頭をよぎった

リフレクション

リフレクション(内省)する力は
10歳くらいの分別が付き始めるころ
神のような親の正しさが揺らいだ時に
自分の内側へと繋がることで養われる

それは受容される安心の中で
ゆっくりと進む繊細なプロセス

でも
親が見栄をはって正しさを押し付けて
子供が自分に向きあう機会を奪ったり
「自分で考えなさい」といって機会を放棄すると
子供は自分と繋がるプロセスを担保されず
不安を穴埋めしようと
親の代わりとなる相手やモノゴトを求め
内ではなく外へと向いていき
リフレクションの代わりに
プロジェクション(投影)の力を得ていく

プロジェクションで見ているとき
自分のことを感じようとすると
相手に自分はどう見られているのか?
相手の中にいる自分を感じようとする
そして相手のことを感じようとする時も
自分のことを相手はどう感じているか?
やはり相手の中にいる自分を感じようとする

いつも”相手の中にいる自分”という構図で見ていて
自分と相手をそれぞれで見ることはない

こうなると厄介になることがある
相手が分からないと自分が分からないのだ
それは相手が人だけとは限らない
状況も時代も分からないと
やはり自分が分からないとなる

でもVUCAといわれるこの時代
正解の分からないウィルスと共存する時代
こんな時代にプロジェクションの力だけだと
自分が分からなくなって
決断もできなくなる
誰かに決めてもらうしかない
もしくは私には関係ない

だからこそこの時代はプロジェクションから
リフレクションへの転換を求めている
人じゃなくて時代が転換しようとしている
そう思える

これでいいのかな?
そう思えることが始まりなんだ

長くなったので
リフレクションの部分はまたの機会に

でも一つ思うのは
ドラクエ1ってさ
めっちゃ自分を見る練習だった気がする
ずっと空をみている仮の自分を
空から観てる自分という構図なんだよ。
だからあつ森をやってる息子は
リフレクションの力を高めているのかもしれない

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)